他人の志望動機
自宅PCの保存データを整理していたら、以前に添削した学生の志望動機書がいくつも出てきた。
昔は、手書き原稿をスキャナーで読み取り、プリントアウトしたそれに朱を入れ、またスキャナーで読み取り、メールに添付して返却する。そんな面倒くさいことをやっていた。
懐かしい。彼ら・彼女らは今ごろ何をしているのだろうか。
他人の志望動機書を添削することについては、ある葛藤がある。
他人の人生に口出しするみたいで罪深い気持ちが勝る。
本来、志望動機書は当人が正直に学校への(あるいは将来への)熱い思いを記すべきものである。
表現の工夫は副次的なものだから、第3者が口を挟んでもいいと思うが。
しかし、今どきの学生(と言えば彼ら・彼女らに失礼だが)は、
熱い思いは内に秘めたまま。
いや、表に出せない何かがあるのかもしれない。
困った。こちらが彼ら・彼女らの思いを引き出すには時間が無い。
だから、ときに、文体だけでなく、内容までもいじらなければならないことがある。
たいがい、学生は提出期限の直前に持ってくるから、そうせざるを得ない。
ひどい場合は、草案なしで一から作ってくれ、と言われる。
ヒアリングもせずに創作する。やっていることは、ほぼ犯罪的。
「今回の推薦入試を逃したらもうチャンスは無いんです」。これ、一種の脅迫です。
シーズンになると彼ら・彼女らとはあまり目を合わさないようにしている。
閑話休題(小論文作成に関する覚書 No.5)
〈承前〉
だだし、論文冒頭からだらだらと解決策だけを記すわけにはいかない。解決策で評価されるのは問題解決能力や向学心であって、総体的な評価基準からすれば一部にすぎない。
解決策は問題点の指摘(原因究明)という前段の内容に基づかなければならない。原因が明確にならなければ策も何もあったものではない。ここで、〈問題点の指摘→解決策〉という論理が成立する。断るまでもなく、指摘する問題点の数と解決策の数は基本的に対応していなければならない。たとえば、問題点を3点指摘したのであれば、解決策もその3点に対応したものとして提示されなければならない。(単純に数を揃えるということではなく、解決策は前段で指摘された問題点を全てカバーするものでなければならないということ。)
では、〈問題点の指摘→策〉の展開で全てかと言えばそうではない。問題点の指摘はテーマをめぐる現状を前提としなければ出題者の意図から外れてしまう。小論文のテーマの多くは社会問題である。(もちろん、社会問題以外のテーマもある。社会問題以外のテーマに対するアプローチは後述)。現在、問題となっていることに対してのアプローチでなければ受験小論文は成立しない。
つまり、小論文は〈テーマをめぐる現状説明→問題点の指摘→解決策〉という展開を基本とする。
(つづく)