わが家では、テレビを集中して観る、ということはない。

テレビはBGMとしてしか機能していない。

 

しかし、同居者もわたしも、作業の手がとまるときがある。

それは、テレビから猫の鳴き声が聞こえてきたときだ。

CMでも、ついつい見入ってしまう。

 

かつて、わが家にいた5匹の猫のうち、

最後の老猫が他界してから、もう5年くらいになるかな。

それ以来、わが家ではときどき、どちらからともなく、

「子どももいないし、猫飼う?」と言い出す。

しかし、お互いに、最期の辛さを知っているから、

「やっぱり、諦(や)めとこうか」となる。

 

台所の片隅には、捨てるに捨てられないカンカンとカリカリがまだある。

 

 

 

 

閑話休題(小論文作成に関する覚書 No.8)

承前

 では、どのように改めたらよいか。「問題点の指摘」というこの段の役割を考えながら以下のように修正してみた。

 

 今日のソーシャルメディアを介したいじめは、特徴とされる「手軽さ」が悪用されやすいことに原因がある。ルールを破ったものに対して共同で行われる制裁行為が、罪悪感を伴うことなく行われてしまう。問題は、それが第3者を閉め出した空間で行われ、それゆえに、加害者にはゲーム性の興奮を喚起させ、ときに被害者に自死を選択させるほどの苦痛を与える。皮肉にも社会性と相互性を旨とするソーシャルメディアは、いじめの手段とされることで閉鎖的で一方通行なツールとなってしまうのだ。

 

 たいして、内容的に変化がないようにみえるが、力点の置き方が修正前とは違っているのがわかるだろう。強調されたのは、いじめの原因がソーシャルメディアの特徴自体にあるのではなく、無自覚な「手段化」にあるということだ。無自覚であるゆえに、いじめが助長されやすい。しかも、手段として用いられたソーシャルメディアは社会性・相互性を謳っているゆえに、いじめ対策としてメスが入りにくい。これらは、「深読みレベルの解釈」でないと読み取れないということではないだろう。

(つづく)